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盂蘭盆

お墓と仏花

 現在、関西のお盆(盂蘭盆)は毎年8月13日から15日の3日間で行われますが、日本のお盆の起源はインド・中国・日本といった国々の風習が合わさっています。

 仏教のお盆は盂蘭盆経(うらぼんきょう) の目連尊者のお話や夏安居(げあんご)に由来すると言われていますが、日本のお盆に深く影響を与えている道教(どうきょう)の中元節(ちゅうげんせつ)についてはあまり知られていません。

 江戸時代以降、この中元節が日本文化と融合してお盆に親族や近所の人々へ贈り物をする風習が広がり現在の「お中元」に発展していったといわれています。

赤提灯

 中国では元宵節(げんしょうせつ)の15日(旧暦1月15日)を天官大帝の誕生日として「上元節」と云い、この天官大帝は天界の神様で福を司ります。

 次に旧暦7月15日は地官大帝の誕生日で「中元節(ちゅうげんせつ)」、と云い、地官大帝は地界(死者)の神様で死者の罪を司ります。

 最後に旧暦10月15日が水官大帝の誕生日で「下元節」と云い、水官大帝は水界の神様で厄を司ります。

 この三回の節目を三元(さんげん)と呼び、この三神は人間の生死や命運(天・地・人)を司っています。

中国の寺院

 この三神の中で地官大帝の誕生月にはあの世の門が開き、死者の罪が許される日だという言い伝えがあり、やがて「鬼節(死者の日)」という意味に変わっていきます。台湾では旧暦7月を鬼月(きづき)と呼びますが、日本で鬼といえば赤鬼や疫病のイメージですが、中華圏では鬼は死者・霊なのです。

 旧暦7月1日(地官大帝の誕生月)になると、開鬼門(あの世の門が開く)となって先祖の霊や無縁仏が人間界に帰ってきて、7月末日の門が閉じられる閉鬼門までの1ヶ月の間、罪が許されて人間界に滞在して自由に過ごすことができると信じられています。

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 この地官大帝の誕生日(旧暦7月15日)に道教寺院や台湾では中元普渡(ちゅうげんふとう)を行います。普渡とはあまねく済度する、つまりあらゆる鬼(霊)を救済する意味です。

 一般的にこの中元普渡は公普と私普に分かれます。

 公普は地元の道教寺院または住宅管理組合などが合同で日にちを決め、地元の住人や商店などの人々を集めて野外か玄関で礼拝して紙銭(あの世で使えるお金)を燃やして送ります。盛大に行う場合は道教の道士を招いてお経を唱えてもらいます。

中元普渡供物

 私普は各家庭でお供え物を用意し、午前中に自宅の仏壇で先祖の霊を供養し、午後からは無縁仏を野外や玄関先で供養します。日本に当てはめると、午前中の先祖の霊を供養する風習がお盆で、午後の無縁仏を供養するのが施餓鬼(せがき)にあたります。日本でもお盆に自宅の庭へ施餓鬼棚を設けて無縁仏を供養する地域もあります。野外や玄関先で供養をするのは、自宅内で供養する先祖の霊の所に入ってこないようにという意味もあります。

プレゼント

 また中元節(旧暦7月15日)は孝子節(親孝行の子の日)や孝親節(親孝行をする日)とも呼ばれていて、地官大帝は孝行の神様でもあります。地官大帝を礼拝すると同時に、親孝行という意識を広める作用があります。

 中元節の当日には仏壇に豊富なお供え物を用意し、ご先祖や親族を想い、子孫や家族たちの感謝の気持ちを伝えます。そして親孝行の証として布施の行いである進物をします。その布施の行為を地官大帝に見てもらい、布施の功徳によって先祖の罪を地官大帝に許してもらえるようにするのです。

 この考えが日本に入ってきて「生き御霊(みたま)」となり、現在のお中元の進物と変化していくのです。

盂蘭盆法要の花桶

 このように私たちが行っているお盆やお中元のルーツは、道教の中元節や儒教の道徳的観念である孝の行いから生まれたものといえます。

 日本のお盆はこの他にも仏教や神道の信仰が合わさり、長い時間をかけて徐々に変化しながら、日本独自の風習となって現在の私たちに受け継がれているのです。​

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