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​鬼退治の名将

 千の御手に

  願いを込める

​伝 説

岩屋の滝入口看板

京丹波町三ノ宮 府道26号から岩屋不動の滝入口

冠石峠・兜石峠

 今から千年ほど昔の平安時代中期、丹波路を黙々と歩きつづける武将達の一隊がある峠を越えていった話は知られていない。

 大江山(おおえやま)に住む酒呑童子(しゅてんどうじ)を討伐に向かう一隊の長は、源頼光(みなもとのよりみつ)である。

 京から大江山への道のりで、半分あたりがこの丹波国舟井郡三ノ宮村。

岩屋不動の参道

 平安の昔、丹波路のこの峠は巨石が多く転がっており、京からいくつもの峠を越えてきた一隊にも難関の峠である。この峠を越えれば酒呑童子の住む大江山のふもとへと至る。

 頼光は勅命を背負うがゆえに負けられないのがこの戦。相手はなんといっても鬼である。いやおうにも頼光に勅命という重圧がのしかかる。屈強な部下の渡辺綱ら頼光四天王もそんな頼光の心を感じ取っていたのだろう。

 一隊は京からの道中、様々な神社や寺院に詣でで必勝祈願をしていた。

京丹波町三ノ宮 岩屋不動の滝への参道

不動の滝と岩屋の祠の分岐

 この巨石が多く転がる三ノ宮村にも霊験あらたかな神仏がおられないものか。

一隊は三ノ宮村の人々から話を聞き、霊験あらたかな仏である千手寺の仏さまを目指して大岩屋がある霊山に分け入った。

 当時の千手寺は深い渓谷の山の中に千手観音、不動明王、毘沙門天らを点々と安置しており、厳しい自然の中での修行道場になっていた。行基開創以後、多くの山伏や聖(ひじり)がこの霊山にこもり、滝行をして身を清め護摩を焚いていた。

京丹波町三ノ宮 不動の滝と岩屋の祠の分岐

岩屋の祠

京丹波町三ノ宮 岩屋の祠

 また千手寺のある大岩屋の霊山には絶えることのない水があり、村の人々にとって田畑を潤す恵の水であった。山伏や聖があがめる仏は、自然の恵も与えてくれる仏でもあった。

 そのような話を聞いた一隊は霊山に登り、大岩屋に籠(こも)って滝で身を清めて護摩を焚き、千手寺の仏さまに武運長久と心願成就を祈願した。

  一隊は祈願を終え、気を引き締めて難関の峠を目指してゆっくりと進んでいく。

岩屋不動の滝

京丹波町三ノ宮 不動の滝

 鎧(よろい)などの重い荷物は、なれないうちは体にずっしりくる。巨石が多い峠を登りきると、頼光は岩に冠(かんむり)を置き腰かけて大江山の方向を見渡す。

 しかし、大江山をみることはできない。ひと息つく間もなく岩に置いた冠をかぶりなおして、太刀を勢いよく岩について立ち上がった。すると巨石は二つに割れて冠そっくりの石が峠に残り、あと一つは地面にめり込んだとか。

 以来、この峠の道は割れた二つの石の間を通り、道の上まで覆うように出た烏帽子(えぼし)が目印になった。

 普通ならこれで終わりだが、この話には続きがある。

京丹波町猪鼻冠石峠 府道26号

冠石峠

 頼光一隊は大江山で酒呑童子の首をとり、京へ帰る時も通ってきたこの峠をふたたび通る。一隊がこの峠にさしかかると、さげてきた酒呑童子の首が急に重たくなったという。鬼とはいえ生き物。殺して首をさげてきたことが頼光の心に重くひっかかる。

 頼光は冠型の岩に自分の冠を脱ぎ捨て、山伏の姿になってなんとか首をさげて都に向かったという。

 この峠の名前は冠形の石のある峠で冠石峠(かむろいしとうげ)という説と、カブトを置いた石の峠で兜石峠(かぶといしとうげ)の二説ある。

 しかし、現在は冠形の石は撤去されてしまい跡形もなく、兜か冠かは不明であるのが惜しまれる。

岩屋の祠

岩屋の神と弁財天

 昔この岩屋の谷の麓に一富豪家があった。その屋敷跡といわれる土地は今もこの谷の麓に畑地として見られる。

 この家に一人娘として生まれ、世にも稀な美人がいた。結婚適齢期を迎えて両親は何とかよき婿をと心を砕くが、娘は一向に耳をかそうとせず、この家が先祖代々崇める「岩屋の神」に参拝することを唯一の楽しみとして日を送っていた。

京丹波町三ノ宮 岩屋の祠

岩屋の祠の看板

 こうしたある日、突然娘がこの家から消え失せた。八方手をつくして探したところ、この岩屋の谷間の草むらに美しい弁財天の姿を見つけた。

 この事から娘の両親や近所の人たちは、これはきっとあの信心深かった娘の化身だと、この弁財天を懇(ねんご)ろに葬(ほおむ)り祀ったということである。 三ノ宮自治会看板より抜粋

京丹波町三ノ宮 岩屋の祠の看板

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